ふーちゃんと私の出会い|血の繋がらない娘と、家族になるまでの記録

私には、ふーちゃん(仮名)という娘がいます。

2026年10月の現時点で、5歳の年長さん。発達障害に加え、精神面の障害・問題もたくさん抱えている、私の次女です。

西田あずさ

これまでの次女のことはInstagramやThreadsでも発信してきて「凸凹次女」と呼んできましたが、このブログでは「ふーちゃん」と呼ぶことにしました。

ふーちゃんは、とにかく奥が深い。

周りに馴染めず、他人に迷惑をかけてしまうことも多いし、とんでもないトラブルもたくさん起こしてきた。正直、家族(大人、きょうだい)も関わる人も、とても疲弊させてしまう子。すぐに病気する。毎週熱を出す。深夜の異常行動や“目に見えない誰かとのお喋り”など、完全な精神症状も頻繁に出る。狂気的な発言もある。

幼児だとは思えない行動、言動、人への関わり方、表情…どうしてそんなことを言うのか。なぜ、そういう行動を取るのか。一つひとつの言動を掘り下げていくと、そこには本人なりの考え方や、心の動きが見えてくることがあるんですね。

ずいぶん理解できるようになったと思ってるけど、まだまだ毎日のように新しい発見がある。それが、うちのふーちゃんです。

そんなふーちゃんとの日々をこれから少しずつ記録していこうと思っていますが、その前に今回はまず、私たちのことを少しお話しさせてください。

西田あずさ ふーちゃんの母 / アズログ運営者

発達・精神に大きな課題を抱える次女との日々を「ふーちゃん観察日誌。」に綴っています。

ふーちゃんは、私が産んだ娘ではありません。

別に隠すことはないので、堂々と言います!

ふーちゃんとは血が繋がっておらず、私はいわゆる「継母」です。

先に言っておきますが、私自身はそのことを特別に捉えていません。ふーちゃんは他の2人のきょうだいと同じく、私の子であり、それ以上でもそれ以下でもないからです。

でも、私たちの関係を考えるうえで、一つだけ、とても大切なことがあります。

それは、ふーちゃんには、私が育てていなかった時間があるということ。

血のつながりがないことよりも、私がそばにいなかった時間に、ふーちゃんがどんな経験をしてきたのか。そして、その経験が今のふーちゃんにどのような影響を与えているのか。

私にとって重要なのは、そこなんです。

だからこそ以降では、ふーちゃんとの出会いやその当時の状況、私との関係性について綴っていきます。

ふーちゃんとの出会い。そして、母親になるまで。

ふーちゃんと初めて会ったのは、2023年の夏。ふーちゃんが2歳5〜6ヶ月のときでした。

「友達の子供」だったふーちゃん

実は、ふーちゃんの実のお父さん(現在の旦那)は、私の中学生時代からの友人。彼の兄弟や親御さんとも昔から親しくしていて、家族ぐるみの付き合いがありました。

そんなご縁でふーちゃんと出会ったわけですが、第一印象は、とにかく不思議で、違和感のある子。同じ年頃の子供達とは、何かが違う。発達も遅い印象で、空気感も独特でした。

当時ふーちゃんを養育していた実のお母さんは、うつ病や発達障害の診断を受けていて、情緒も非常に不安定だったとのこと。家庭環境については以前から人づてに耳にしていたこともあり、初めてふーちゃんに会ったときから、私はあの子のことがとても気になっていて。「家庭環境が影響してあんな様子なのかな…」「それとも単純に教えてもらっていないことが多いだけなのかな…」と、当時はあれこれ考えていたのを覚えています。

そして、私がふーちゃんと出会った約1〜2ヶ月後。

ふーちゃんの実のお母さんが亡くなりました。

突然始まった、ふーちゃんとの暮らし

ここから、私とふーちゃんの人生は大きく変わります。

実のお母さんが亡くなったとき、突然のことで慌ただしく、身内だけでふーちゃんの面倒を見ることが難しい状況でした。そこで、以前から家族との付き合いがあった私が、ふーちゃんを少し預かることになったんです。

もちろんこのときは、ふーちゃんのお母さんになるつもりだったわけではありません。

ところがふーちゃんは、我が家へ来た直後から私のことを「ママ」と呼んでいました。実のお母さんとの実のお母さんと私の違いは、ちゃんと分かっているはずなのに。まるで、ずっと前から私と一緒に暮らしていたかのように、ごく自然に「ママ」と呼ぶんです。母親として選ばれたような、何とも言えない独特な感覚は、今でも鮮明に覚えています。

そんなこんなで、当初は一時的に預かるつもりだったものの、気づけば私がふーちゃんの生活を支え、母親として育てる毎日が始まっていました。長女ともいつの間にか「姉妹」になっていて、ふーちゃんは驚くほど自然に、私たちの生活に溶け込んでいたんですね。

そうした日々を重ねる中で、私とふーちゃんのお父さんとの関係も変わっていき、その後、結婚することに。

私たちは俗にいうステップファミリーですが、一般的にイメージされる順番とは、少し違うのかもしれません。結婚してふーちゃんの母親になったのというよりは、ふーちゃんの母親として過ごす日々の先に結婚があった。私たちは、そんな形で家族になりました。

一緒に暮らし始めた頃のふーちゃん

さて、ここからは当時のふーちゃんの様子についてお話しします。

2歳7ヶ月で我が家にやってきた頃のふーちゃんは、発達の面でも、情緒の面でも、とにかく気になることが多い子でした。

発達面の特徴

まず、言葉がほとんど通じない。

「ママ」「パパ」「パン」「かし(お菓子)」といった簡単な言葉は話せるものの、あとは一人でゴニョゴニョと意味不明な言語を長時間呟いていることが多かったです。こちらが話しかけてもなかなか意思疎通ができないし、日常的な指示も一切と言っていいほど通りませんでした。

運動面も同です。

歩き方は、まるで「歩き始めた1歳児」のよう。今まで運動が足りていないだけだと思ってずっと外に連れ出していましたが、なかなか改善せず、走れるようにもなりませんでした。年齢相応の遊具遊びも、もちろんできない。公園で遊んでいるふーちゃんと同じ年齢くらいの子供を見れば見るほど、その違いが際立っていました。

家の中では、おもちゃの遊び方を教えてもなかなか覚えられず、力がとにかく強くてすぐに壊してしまうことも。さらに、異様に不器用で、身体から手先まで自由自在に扱えていない印象でした。

情緒面の特徴

そして、何より印象的だったのが、情緒の変化。

普段は天真爛漫に見えることもあるのに、何かをきっかけに、表情や目つきがガラッと変わる。少しでも思う通りにならないと、激しく泣いたり、怒ったり、暴れたり。一度そうなると、なかなか気持ちを切り替えられず、1〜2時間叫び続けることも珍しくありませんでした。

かと思ったら、階段の隅などで静かに自分を傷付けている。爪で手足をガリガリしたり、姉のハサミを取って自分の手に当てていたり…しかも怖かったのが、そのときの表情。異様に虚ろで、無心でやっているように見えました。なんというか「子供が興味本位でやっている」ようには見えない、といった感じ。そもそも、うちに来た時から表情は乏しくって、私の日記には「鬱みたい」と書いているんですが、まさにそんな印象を受ける様子でした。

他者の反応を確かめるような「試し行動」もかなり多くて、そのやり方もとても巧妙。色々な部分が幼いと思いきや“子供だとは思えない行動”が連発している子でした。なのでトータルすると、単に「発達がゆっくりな子」という印象ではなかったんですね。かと言って「情緒が不安定な子」だけでもないのも明らかで…。

何もかもが、とにかく独特。初めて会ったときに感じた違和感は、一緒に暮らすようになってから、さらに強くなっていきました。

とはいえ、この頃はまだ、ふーちゃんの発達や精神面について診断がついていたわけではないし、これまでの背景も考慮すると「病院に行こう」「どこかに相談しよう」とも思わなかったのが正直なところ。目の前で起きる一つひとつの出来事に対応しながら、私は少しずつ、ふーちゃんという人間を知っていくことになりました。

今のふーちゃんについて

あれから3年以上。

2026年現在、ふーちゃんは、発達障害に加え、愛着や発達性トラウマに関わる精神面の問題についても診断を受けています。

一緒に暮らし始めた頃から、発達や情緒の面で気になることはたくさんありましたが、年齢を重ねるにつれ、その複雑さも少しずつ見えてきました。様々な支援を受けさせてもらっているものの、課題はどんどん大きくなってきているのが実情です。

言葉こそ巧みに操れるし、知能も偏って鬼高い。だけど他のあらゆる発達・情緒面は、年齢にすると1〜2歳相応。その反面、異常なほど大人びた部分も多々。言語化はとっても難しいけど、本当に奥が深い子なんですよね。専門家からも「こんな子見たことない!」とよく言われるし、私も心からそう思ってます。

私が知らない時間も、私と過ごしてきた時間も、今のふーちゃんを形づくっている大切なもの。過去の出来事だけで今のふーちゃんを説明することはできないけど、過去をまったく切り離して考えることもできない。だからこそ、目の前にいるふーちゃんを、丁寧に見ていきたい。私は常にそう思いながら、今、ふーちゃんと生きています。

ふーちゃんがこれまでどんなふうに成長し、どのような課題と向き合ってきたのかについての詳細は、別の記事にまとめておきますね↓

ふーちゃん観察日誌、はじめます。

これまでふーちゃんについては、Instagramでもたびたび発信してきました。

ただ、SNSではどうしても、伝えられることに限りがあるんですよね。一つの言動を紹介することはできても、その背景や、そこに至るまでの経緯、私が何を考えたのかまで伝えるのは、なかなか難しい。一言で片付けられないことばかりなふーちゃんとの出来事は、特にね。

毎日のように何かが起きて、考えて、対応して、また新しいことが起きる。ときには驚き、ときには腹が立ち、ときには引っ張られ、クタクタになることもある。逆に、ものすごく面白いときもある(笑)

とにかく、どれだけ理解を重ねたつもりでも、今でも毎日のように新しい発見があるんですよね。

そんな日々を、いつかちゃんと文章に残しておきたいと思ってました。

そこで始めることにしたのが、この「ふーちゃん観察日誌」です。

複雑で、奇妙で、苦しくて、風変わりなふーちゃんの世界では、日々何が見えているのか。それは母である私にも分かりません。でも、分からないなりに、私が実際に見たこと、感じたこと、考えたことを書いていきます。

どんな出来事があったのか。そのとき、ふーちゃんは何を言い、どんな反応をしたのか。私はそれをどう受け止め、何を考え、どう対応したのか。そして、その出来事から何が見えてきたのか。

ただの育児日記というより、ふーちゃんという一人の人間の、心や行動を記録していく日誌にしたいと思ってます!

毎日新しいふーちゃんを、なるべく赤裸々に、ここに残していきますね。

ふーちゃん観察日誌

発達・精神に大きな課題を抱えるふーちゃんとの日々を記録。

Instagramでも発信中

ふーちゃんとの日常や、発達凸凹育児について発信。

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