私、いつの間にか娘の人生を生きてるやん。
先日ふと、衝撃的な気づきを得ました。
子供中心の生活になるのって、別におかしいことではないと思います。子供がいれば生活が変わるのは当たり前ですし、育児に時間を使うこと自体は何もおかしくありません。
でも、私の場合は少し違いました。
私には3人の子供がいて、そのうちひとり(次女)は発達・精神に大きな問題を抱えているのですが、その子が家にいない時間も頭の中は娘のことでいっぱい。家族との会話も、夫への不満も、気づけば全部娘の話になっている。他のきょうだいの成長に関する話ですら、最終的にはその娘の話に切り替わっている。
そして、いつの間にか友達とも会わなくなり、外出も減り、人と関わることすら面倒になっていました。子供を育てているうちに、自分自身の世界がどんどん狭くなっていたのです。
しかも、単純に育児が大変だから、というだけの話でもなさそうです。
今回は、そんな自分について少し書いてみようと思います。

WRITTEN BY
西田あずさ 当ブログオーナー
発達・情緒に課題を抱える子を含む3児を育てながら、コミュニティ運営、起業支援、メディア発信などを軸に活動する法人経営者。
私が陥った「子供中心の生活」とは
私はもともと、人と会って、話すことが好きな人間でした。友達と会うのも、出かけるのも、とにかく誰かと行動し、おしゃべりする時間が欠かせない人。ひとりで楽しむことも好きで、エレクトーンを弾いたり、DIYをしたり、インテリアを考えたり、買い物に行ったり…黙々と仕事をするのも、そのひとつ。誰かと一緒でも、ひとりでも、家にいても、外にいても、わりと「自分のこと」を中心に活動的な人生を送っていました。
ところが最近の私は、気付けば「動きのない人生」を送っていたんです。
外出も友達付き合いも減り、社会から離れていた
まず気付いたのは、ほとんど出かけていないこと。元々インドアな活動は好きなものの、大好きな買い物は全て通販で、友達と会うこともありません。会うどころか、連絡もとりません。わざわざ誰かと予定を合わせることすら面倒になっているし、保育園の送迎で会う他の子供達のお母さんと少し会話を交わすことさえ、いつの間にか避けていました。次第に「娘のことを理解している人以外喋りたくない」みたいな気持ちも生まれ、次女をよく知る人以外との交流を自分から遮断している部分もあったんですね。
在宅ではあるものの、仕事はしていますし、オンライン上ではよく人とお話をしています。全く人と関わってないわけではありません。
ただ、気づけば自分の世界がものすごく小さくなっていたんです。プライベートにおける社会との接点が、激減していました。
そして不思議なのは、それをあまり不便だと思っていなかったこと。出かけたいのに出かけられない、というより、そもそも出かけたい・誰かと会いたいと思わなくなっていたんですね。
娘がいない時間も、子供のことばかり考えていた
子供3人のうち、真ん中の娘には、発達の凸凹や精神面の課題があります。育てる中で戸惑うことも多く、日々いろいろなことを考えてきました。かといって、もちろん、娘は常に私と一緒にいるわけではありません。そばにいない時間もたくさんあります。
それなのに、娘がいない時間まで、私の頭の中にはずっと娘がいるんです。
夫と話していても娘の話。ほかの子供の話をしていても、いつの間にかその娘の話になります。何か出来事があれば「娘だったらどうだろう」と考えるし、夫婦関係について考えるときも、結局は娘への対応の違いに行き着く。仕事でも、ついつい娘の話を交えがち。長女から人間関係の相談を受けても、気付けば次女が登場している。どんな話題でも、なぜか最終的に娘(次女)の話になっていくんですね。
つまり、私の生活の中心に娘がいるだけではなく、私の思考の中心まで娘になっていたのです。
私自身の話って、最近どれくらいしただろうか?娘とは関係のないことで、最後に夢中になって誰かと話したのはいつだろうか?それまでは全然意識すらしてなかったのですが、娘が中心になりすぎていることに気付き、考えていると、少し怖くなってしまいました。
なぜ、子供中心になってしまっていたのか
「これはやばい」「私おかしくなってるやん」と気付いてからは、まずその理由を考えてみました。そうすると、私の場合、単に子供に問題が多く大変だから・心配だから、みたいな部分だけでこうなってるだけではない。課題が多い子供と向き合っているうちに、いつの間にか、娘そのものに「執着している」ことに気付いたんです。そしてその執着には、私自身の性格や欲求も深く関わっていると自己分析できました。
娘の心理を理解したいという強い欲求がある
子供のことばかり考えてしまうと聞くと、心配で仕方がない母親を想像しがちですよね。もちろん私も、娘に対して心配もかなりあります。娘がどんな子であるかはここでは割愛しますが、発達・情緒の問題がかなり複雑で、社会適応が難しいので、心配は大いにあります。でも、私の場合はそれだけではないと気付きました。
私は、娘のことを理解したくて仕方がないのです。
なぜ、こんな言葉が出てくるのか。なぜ、相手によって態度や反応が変わるのか。なぜ、昨日できていたことが今日はできないのか。何がきっかけで、どんな心理が働いて、今の行動につながっているのか。知りたい。とにかく知りたいのです。
私はもともと、物事の原因や仕組みを考えることが好きで、仕事でも何か問題があれば構造から理解したくなるところがあるんですね(笑)表面的な現象だけでは納得できず、なぜそうなるのかを考えます。しかも、ものすごく、深く。そんな思考の持ち主だからこそ、単純には理解できないことがたくさんある娘に対し、深く入り込んでしまった。考えても、考えても、理解しきれない部分の多い娘に、まさに“執着”していました。
娘を「知りたい」欲求によって、分析が止まらなくなっていたのです。
※娘の発達や情緒の課題については別に「ふーちゃん観察日誌。」として連載で綴っています↓
誰かに話すことで、自分を認めてもらおうとしている!?
さらに私は、娘について分析するだけでは飽き足らず、そのことを誰かに話したくなります。今日こんなことがあった。こんな言葉を言っていた。私はこう考えた。そんな話を、ついつい家族にも“しつこいほど”してしまっていたと思います。
その「娘の話をしたいこと」自体は以前から自覚していたのですが、それはずっと娘の状況を共有するためだと思ってました。必要なことである、と。もちろん育児の方針を合わせるために必要な情報共有ってあるじゃないですか。でもこれもまた、よく考えると、それだけではなかったのかもと気付いたんです。
本当は、自分の考えを誰かに聞いてほしい。自分が気づいたことを伝えたい。そして、自分の分析や理解について、誰かに認めてほしい気持ちもあるのでは?そう考えると、娘の話をしていたつもりで、実は自分自身の欲求を満たしていたんだろうな、という結論に至りました。
【気付き】娘の問題を解決したい気持ちと、考え続けたい気持ちは違う
今回の自己分析で気づいたのは、問題を解決したい気持ちと、問題について考え続けたい気持ちは、必ずしも同じではないということです。
娘の育児は、決して簡単ではありません。どう対応すればいいのかわからないこともありますし、精神的に疲れることもあります。だから私は、娘の抱える課題を理解し、できるだけよい方向に導きたいと思っています。私は娘の状態がよくなることを願っています。それは今も変わらないし、親として当然とも言えるんじゃないでしょうか。
ただ同時に私の場合は、娘の複雑な心理を分析すること自体に、強い関心を持っているんですね。これがなかなか厄介で、娘のことを考えたくないのに考えてしまう、というよりは、むしろ考えたい自分がいる。心配だから考えるだけではなく、知りたいから考える。理解できないから、もっと考える。そうしているうちに、娘がいない時間まで娘のことで頭がいっぱいになり、私の口から出る話も娘のことばかりになっていました。
その結果、夫婦関係が微妙になってきたり、自他ともに疲弊させてしまったり…娘の問題に振り回されていたつもりが、私自身がその問題にのめり込んでいたのかもしれません。
このことに気づいたのが、今回の一番大きな発見でした。
子供中心の生活から、自分の人生を少しずつ取り戻すための工夫
今回、自分の状態を振り返って、改めて思いました。
娘を理解することと、娘の人生を生きることは違う。娘には娘の人生があるし、私には私の人生がある。私にはほかにも子供たちがいますし、夫がいます。仕事もあります。好きなことも、やりたいこともあるはずです。娘の育児が大切だからといって、私自身の世界まで娘一色にする必要って、ないですよね。
娘を理解しようとすること自体を、やめたいわけではない。ただ、娘のことを考える時間と、自分自身の人生を楽しむ時間は、意識的に分けていきたいと思いました。
そのためにできることを2つ考えたので、以降でシェアしますね。
1.娘への執着を、エッセイという形に変えてみる
まずひとつ決めたのは、娘について考えたことや、誰かに話したくなったことは、これからはエッセイとしてブログに残していくことです。もちろん、娘のプライバシーは守りながら。
日々の出来事を記録する「ふーちゃん観察日誌。」と、自分自身の思いや気づきを書く通常のエッセイ。その二つを通じて、私の中にある強い関心を、文章という形にしていこうと決めました。
書くことでさらに考えを整理できますし、同じような経験をして困っている人たちにとって、何かヒントになることを届けられるかもしれません。何より、家族との会話をすべて娘の話にしてしまうより、ずっといい気がします。笑
ただし、書くことによって、ますます娘のことばかり考えるようになっては本末転倒。だから、書く時間には書く。そして、それ以外の時間は、自分自身の生活を楽しむ。そんなふうに、少しずつバランスを変えていけたらと思っています。
2.行動と言動だけでも、意識的に変えてみる
そしてもうひとつ私が考えたのは、日々の行動・言動を無理矢理にでも変えていくことも大事だな、ということです。
「娘のことをつい考えてしまう」とか、根底にある思考“癖”のような部分って、変えるには時間が必要かもしれません。執着をポイッ!と手放すことも、急に心から「友達と会いたい!」と感じることも、難しいですよね。
でも、その場その場での行動・言動って、全部自分で選択できるじゃないじゃないですか。だから思考はちょっと隅において「自分が何に時間を使うのか」「何を発言するのか」から意識的に変えようと思ったんです。
第一に娘のことを「口にする」回数は意識的に減らして、友達と会う予定を入れてみるとか、ショッピングに出かけてみるとか、かつての自分が好きだったことを気が乗らなくてもやってみる。子供の話題禁止で夫とデートに行ってみる、他の子供たちと出かける時間を作る、とか。そんなことをしているうちに自然と、遊びたい欲求が湧いてきたり(笑)、趣味に没頭する時間が増えたり、いい意味で「娘のこと考えてる暇ないわ!」みたいに、自分自身に本当の変化が出てきたらいいな、というわけです。
行動・言動から変えて、思考を変える意識。これも、少しずつ積み上げていこうと思います。
子供の人生と、自分の人生は、違っていい
今回、自分が子供中心の生活に陥っていたことに気づき、改めて以前の自分を振り返るきっかけになりました。
娘のことを考え続けていたのは、育児の大変さや心配だけが理由ではなく、私自身の「知りたい」「理解したい」「誰かに伝えたい」という欲求も大きかったと思います。そして、そのことに夢中になるあまり、自分の世界を狭くしていたのかもしれません。娘が少し社会と距離がある子だからといって、自分までそうなっていた、というのも、もちろんあると思います。
でも、娘の人生を大切にすることと、自分の人生を大切にすることって、本来両立できるはずなんです。実際、過去の自分は両立できていた自信がありますし(笑)、子供を大切にするあまり、自分の人生まで見失ってしまう必要はありません。
娘を理解したい自分も、娘について考えることが好きな自分も、否定するつもりはないですが、それが私の人生のすべてにならないように。私は私の人生を、ちゃんと生きていきたいと思います。
これからは娘について語りたい欲求はブログにぶつけつつ(笑)、子供中心になりすぎない、私らしい人生を再構築していきたいです!
ふーちゃん観察日誌

発達・精神に大きな課題を抱えるふーちゃんとの日々を記録。
Instagramでも発信中

ふーちゃんとの日常や、発達凸凹育児について発信。


