私の人生をまとめました【西田あずさの詳細プロフィール】

西田あずさ

どうも、西田あずさです。

今この記事を開いてくれているあなたは、少なからず私に興味を持ってくれているはず。どこかで名前を聞いて「誰それ何者?もしかして怪しいヒト?」とWeb検索し、このページに辿り着いた方もいらっしゃるでしょう。

さてさて、そんなあなたに向けて今回は私の人生を丸裸にしていきますが、西田あずさについてサクッと紹介するとこんな感じ↓

  • 元:月収10万円貧困シングルマザー
  • Webライター転身で人生激変
  • 現在は会社経営者・2児の母
  • オンラインスクール運営中
  • 会員300名のコミュニティオーナー
  • 女性の働き方改革を支援
  • ほぼ完全在宅ワーカー

※2023年12月現在

以降で詳しく、長々と語っていきますね!

目次

西田あずさの基本プロフィール

西田あずさ(通称:あずさん、あず先生)

  • 1993年4月8日生まれ(30歳)
  • 兵庫県神戸市出身
  • 会社経営者 / 2児の母

元々は、パート介護職のシングルマザー。ぶっちゃけ超貧乏でした。

ですが24歳でフリーランスデビューしてから、人生が激変。現在はほぼ在宅勤務で、デジタルコンテンツ制作事業・メディア運営事業・フリーランス向けの教育事業等を経営しつつ、コミュニティ運営や各種SNS発信メインで活動しています。

各種SNSはこちらからどうぞ

オフィシャルサイトもあります

性格面に関しては、人が好きでとにかくよく喋る、関西人丸出しの騒がしさある反面、中身は超インドアの仕事大好き人間。何事も一人で黙々と取り組むことを好み、仕事に関してはもはや趣味ですね。特技はエレクトーン演奏で、料理より掃除派、わりと何でも器用にこなせるほう(自分で言うな)。ミニマリスト思考なところがあり、物欲は低め、マイホームもミニマムサイズを購入しました。ストレス発散法は断捨離・整理整頓です。

ちなみにシングルマザーは約10年で卒業し、今は夫・愛娘2人・愛犬2匹・愛猫1匹と暮らしてます。

西田あずさの詳しい経歴

それでは、私の人生を時系列で詳しく紹介していきます。

1993-2008(誕生-15歳)

子供時代は記憶がないほど幼い頃に両親が離婚し、母子家庭で育った私。1日中働く母親の代わりに亡き祖父母が中心となり育ててくれました。というわけで、生粋のジジババっ子。

神経質で大人びていた私は父親がいないことがコンプレックスでしたが、高額な費用がかかる習い事(塾とか、1時間1万円以上するプロのエレクトーンレッスンとか)をさせてもらったり、カナダに留学させてもらったり、今思えば母子家庭らしからぬ生活をさせてもらってました。

家族曰く何事もそつなくこなすいわば“デキる子”で、問題を起こさず、ワガママも言わず、幼少期はとってもやりやすい子だったとか。自分の記憶では、かしこいというより子供のくせに全てを見透かしているタイプで、物事を冷ややかに見ていた記憶なんですけどね(笑)

その影響もあってか、小学校卒業後からは「通学は無駄な行為だ」という考えを持ち、中学も卒業してない勢いの学校嫌いに。おまけに、ちょっとヤンキー系。自分的にはヤンチャな友達も多かった、ってだけなんですが…冗談抜きで、私が廊下を歩くとみんながスーッと両端にはけていくような状況もありました。#恥ずかしい

ただ、意外と真面目(?)で、学校嫌いだけど塾は大好き、ガリ勉ちゃんとも仲良し、合唱コンクールは毎年ピアノ伴奏、休み時間は読書…みたいな感じの子。一見ちょっと変わった子だったかもですが、世間の常識みたいなものや周囲に流されず、好きだと思ったことを素直にやる自由人だっただけだと考えています。これは今も変わりません。

我ながら学力も高めで、高校(中の上ぐらいのレベル)入学直後のテストではトップを獲得。まあ、勿体無いことにすぐに退学してるので、高校生以上の学力は皆無ですが…(汗)

そんな私が唯一頑張ってたのは、6歳ぐらいから習っていたエレクトーン。コンクールにも出場しまくって、バリバリ成績を残しました。今はもうかなり腕が落ちましたが、時間があれば弾いてますし、たまに耳コピで楽譜作ったりなんかも。大人になっても続けられる特技を与えてくれた親に、感謝です。

SNSで演奏動画を掲載してたこともあります

2009-2011(16歳-18歳)

そんなこんなで、高校を中退した私が社会に飛び出したのは16歳の頃です。学校と違い“働く行為”は性に合っていたようで、とにかく楽しく、朝から夜までバイトに励む毎日。ときにはオバサマたちの標的となり社会に揉まれたものの、根性強めの私は動じることもなく…(笑)スーパーや飲食店、パチンコ店、葬儀会社など、3年間で多種多様な職を経験しました。

18歳のときには仕事の合間にネイルスクールへ通い、ネイリストの資格も取得しています。

学歴なしのフリーター生活をする10代。今考えると決して「未来が明るい」といった感じの生活ではないかもですが、若かったですし、毎日楽しくて心は豊かでしたね。

2012(19歳)

そして19歳。
4年間付き合い、同棲していた彼と婚約し、妊活も即成功して娘を授かりました。

しかーし!!

その後、事態は一変。理由は割愛させていただきますが、妊娠中期に婚約を破棄し、まさかの未婚シングルマザーになってしまったんです…。

自身が母子家庭だったことをコンプレックスに感じていた私。子供の頃から「シングルマザーになんて絶対にならない」と誓っていたので、自身の選択だとはいえ非常に受け入れがたい出来事でした。おそらく当時は“絶望も通り越したような状態”で、妊娠中の記憶はあまりないのが正直なところ。

写真もこれくらいしか残ってませんw

旦那さんと一緒の妊婦さん、赤ちゃんとパパママの家族を見るたびにかなり複雑な心境になっていたことだけ鮮明に覚えてますね…。

2013-2016(20歳-23歳)

というわけで2013年4月、20歳になってすぐ、一人きりで娘を出産。幸いなことに、陣痛が始まってから4時間程度・強い痛みを感じ始めてから1時間程度の超安産で出てきてくれました。#娘よありがとう

生後1ヶ月足らずの娘。3,400gのビッグベビーでした。

その4ヶ月後、娘をベビー専門の託児所に預け病棟介護職のパートを開始。ここでもまた、仕事自体は超楽しくて。お年寄りが大好きだった私にとっては天職だと思ってましたし、介護系の資格取得や看護師へのステップアップも考えてました。

ただ、あまりにも小さい子を保育園へ預けてしまったのもあり、病気の嵐=欠勤の嵐…。

毎週のように、病院のお世話に。
入院することもありました。

月収は10万円あればいいほうで、親に助けてもらいながらも非常に厳しい生活でした。

2017(24歳)

さらに追い討ちをかけられたのが2017年。

自身が体調を崩し、休職せざるを得ない状況になっちゃったんです。自律神経失調症だの適応障害だのパニック障害だの色々と診断されましたが、とりあえず目眩や吐き気が酷く、保育園の送り迎えさえ辛い状態。一時期は完全に引きこもり、ぶっちゃけ完全に薬漬けでした。

しょっちゅう倒れて、点滴通い…。

職なし、貯蓄なし、むしろ借金まみれにも関わらず、幼い娘と愛犬1匹を抱える母子家庭。頼れる人もいない。この先どうするの?と考える余裕すらないほど絶望的な状況でしたが…。

そんなとき「Webライター」の仕事に出会ったんです。

「これやりたい!」というより「これしかない!」といった感じで、迷う暇もなく挑戦。右も左も分からぬまま、見様見真似でとにかく作業を積み上げました。そしたらあっという間に介護職の給料を上回る収入を得られるようになり、Webライター業で生計を立てられるようになったんです。

稼いだお金で初めて買ったMac(最初は超オンボロPC使用)

大好きだった介護職に若干の名残惜しさはありましたが、復帰することなく退職の道を選択しました。

2018-2021(25歳〜28歳)

翌年2018年、税務署に開業届を提出し正式に個人事業主デビュー。

最初の2年ほどは一定のお仕事量をコツコツとこなす感じで、ゆるっと活動してました。体調も良くなってきたことから、週に2〜3日は買い物や当時ハマっていたDIYなど、自分の好きなことにも時間を使える日々。「自由な生活」ってやつが実現してました。

自作のベンチ。築50年の団地DIYが趣味でした。

その後、また大きく状況が変わり始めたのは2020年頃からです。現在もお付き合いさせていただいているクライアント様たちとの出会いをきっかけに仕事の幅が広がり、ディレクター業を開始。2021年からはWebライティングに関するコンサル業もスタートし、収入も2倍、3倍と右肩上がりに伸びていきました。

SNSなどでの露出が徐々に増えていったのも、ちょうどこの頃。

いつの間にか新車やマイホームも購入できるようになっていて、未婚出産→10万円パート生活→廃人のような生活だったときからは考えられないような人生に変化してました。

今思えば一時期は完全に鬱状態のときもあったけど、生き抜いて良かったって思ったよね、本当に。

2022(29歳)

そしてフリーランス5年目を迎えた2022年、この頃になるとプレイヤーとしての活動は徐々におさえていて、自身のコンテンツ制作チームを強化することに励んでました。クライアントワークでフロントには立つけど、作業の大半はメンバーにお任せし、そのフィードバックつまり教育に集中する感じ。自分自身がばんばん手を動かして制作業に励んでいた状態から、仕組み化を目論んだ動きにシフトしていったんです。

というのも、仕事にハマりすぎちゃってて、母親業だったり女性としての人生だったりに目を向けられてないな、と気付いたタイミングがあって。今の人生は最高に楽しいけど、いつか後悔するときがくるかも?って思ったんですね。要はワークライフバランスを見直したいと考えたんです。

仕事はいつでもできるけど、子供との時間は今しかないしね。

ただやっぱり根っからの仕事人間なもので(笑)、ビジネスも引き続き拡大していきたいし…。みたいな。この欲張りな願望を叶えるためには“ビジネスの仕組み化”しかないって思ったんですよ。これが、方針を変えた大きな理由です。

そんなこんなで取り組み始めた仕組み化もいい感じに進んできて、一緒に人生を歩んでいきたいと思えるスタッフたちとの出会いもあり、12月に株式会社を設立。フリーランスから、経営者に転身しました。

プライベートでは、夏に念願のマイホームを購入しています。

仕事部屋もゲットしました。

現在(30歳〜)

会社設立以降は引き続きコンテンツ制作事業やメディア運営事業などを経営しつつ、2023年初旬からは自社のオンラインスクール・コミュニティ運営も始めました。

私自身の活動はと言いますと、裏では事業拡大のための戦略設計、各施策の立案・実行、スタッフの育成および働きやすい環境づくりを。表では、私との関わりを通じてラクに・身軽に自己実現できる人を増やしたい、といった想いでコミュニティ(会員数300名以上)やSNSを通じた発信活動に注力しています。このアズログも、そういった活動のひとつですね。

西田あずさ公式サイトより

改善の必要性を感じていたワークライフバランスのほうは、日中はゆるゆる仕事したり自分の好きなことしたり。16時以降と土日祝日はオフで家族との時間。っていうルーティンに落ち着きました。

結婚もして、今は奥さん・2児のママとしての顔もあります。

社員複数名を抱える会社を動かすキャリアウーマンとしての自分がいつつ、ごく普通のママとして至って平穏な暮らしをする自分もいて。こんな今の人生が、ほんとに幸せです。はい。

さいごに

いかがでしたか。これが、私の人生です。

まだたった30年少々しか生きてないけど、これまで色々あったし、これからも絶対に色々ある。みなさんも、喜びがあれば悲しみもあり、心が折れそうになること、もしくは心が折れちゃうこともあると思う。それが「生きる」ってことですから。#誰やねん

そんな人生の中で私が大事にしてることは、今も昔も「何をやるか」より「誰とやるか」といった部分。あと、断然結果よりもプロセス重視です。こんなこと言うとアレですが、結果や成果なんて基本的にどうでもいいと思ってて。大好きな人たちに囲まれながら日々やりたいと思う方法でやりたいことをする。結果、何かを成し遂げられてたらより良いんじゃない?といった感じですね。

若くして未婚出産し、お金も仕事もないし、体調も悪い。そのときのことも今だから「どん底だった」と話してますが、実際に「不幸だな」とか「我慢ばかりだな」って感じてたの?と言われるとそうでもないんですよ。いつだって、大切な人たちと一緒に自分が思う通りに行動するっていう生き方をしてるから、どんな状況でもそれなりに満足できる人間なんです。

そして自分がこうだからこそ、他者に対しても、私との関わりを通じて自分なりに「いい」と思う人生を実現してくれたらすごく嬉しいな。世間の「成功の定義」とか「こうであるべき」とかに流されることなくそれぞれの自己実現ができるよう、私が少しでも力になれたらいいな。って常に考えてます。

さてさて、長く語ってしまいましたが、これが西田あずさです。

西田あずさ

最後まで読んでくださりありがとうございました。これからもこんな私をどうぞよろしくお願いいたします!

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この記事を書いた人

関西在住フリーランス・シングルマザー。産後4年間の病棟介護士を経て、独学でWebライティングを開始。現在は、Webライター兼Webディレクター、編集者として複数メディアで活動しつつ、ライティング講師を務める。身軽に・自由に暮らすがモットー。

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